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自分に課した制限を外す

皆様こんにちは!

いかがお過ごしでしょうか?


びっくりするくらいの猛暑日が続いていますが、体調など崩されてないでしょうか😂


どうか無理せずお過ごしくださいね。



今日は、『自分に課した制限・ルール』に関するお話です。

私たちは無意識に制限をかけた世界に生きていますよね。

勿論法律や、所属する機関内での規則などもありますが、今回はそこではなく、個人で個人に課したルールに関してお話していきます。



先日の声の動画方でもお話したと思うのですが、ここ数年、本当の意味ではもっともっと長い期間をかけての話ですが、多様性への理解が社会的にも急速に深まっているように思います。



ここからは、さらに個人的なところでの多様性という部分にフォーカスが当たると思うのですが、それには自分自身のニーズ、自分が必要としているものや好みってなんだろう?というところがとても大切になってきます。


ちょっと考えてみただけでも、それがたくさん浮かんできたり、そのように暮らしています!

という方はなんの問題もないのですが。


はて…自分はどうしたいのかわからないという方、または、他人の生き方が気になってしまう方はちょっと注意が必要です🙄



●「こうゆうものだ」と「こうしたい」の違い


生きていると、何かや誰かにイラッとしてしまう…そんなこともありますよね。

それには、あなた自身の定めたルールというものが大きく関わっています。


そして、そのルールによって、人は無意識に周りと自分を裁いているんです。



例えば、他人に気を使うのは当たり前だ。

身だしなみに気をつけなくてはならない。

挨拶は必ずしなくてはならない。

機嫌を外に出してはいけない。


と言った常識と呼ばれるような暗黙のルール。その他にも


この年齢ならば、こう言った服装をすべき。年相応でないと恥ずかしい。

だんだんとこれができなくなる。

若いということは未熟である。


という年齢によるイメージでの縛り



または、男女観や性別での感覚や、肩書きやらなんやら…

とにかく色々あると思います。



でね、これ、まずは自覚することが大切です。

この縛りを自分にも他者にもかけていることで、自分や相手への怒りや、正当性をわからせたいという欲求に繋がります。


これは、他でもない本人が、大抵とても苦しいです。


※規則や法はこの場合は除きます。

あくまで自分ルールとしてのお話です。



こうゆう話をすると、じゃあ、そんなわがままな人達や常識がない人達にも寛大になれってこと?!

とか、そんな人達にイライラしてしまう自分がダメなのかななどと自分を責めたり、変に我慢して寛大な人に見せようとしたりする場合がありますが、そうゆうことではありません😳



そういう方は大抵自分の身体のどこかがストレスから何かを作り出してしまいます。



そうではなくて、単に自分の好みと捉えること。

みんなとか常識を取り出さずに、自分は嫌なのか、嫌じゃないのか、自分はどうされたいのかどうしたいのか。

単純にそこに戻れば良いのです。



そうすると、正当化する必要もないし、裁く必要もなくなります。

嫌であれば、自分の意見として伝えれば良いし、それを選択しなければ良いというとてもフラットなところに帰ることができます😌



そして、単に自分の好みなんだから、伝えなくてもわかって欲しい、という一番のコミュニケーションの行き違いを生むこともなくなります。



これらは家族間やパートナーなど、近しい人との人間関係にも、会社や学校など社会生活の中での人間関係どちらにもとても大切なことです。



また、本当はそうしたいけど、ダメだと無意識に課してしまっていた制限を外すことにも繋がってくるのです☺️



勿論人間なのでw

完璧に全部がそうできなくても良いのです!

ただ、まずは自分が無意識に受け入れてしまっているルールを自覚すること。

そして、単に好みとなった時には、自分の好き嫌いは自分自身が尊重してあげること。



そうすることで、他者の想いも大切にできるようになりますし、そこからたくさんの気づきがありますよ✨

ノートなどに書き出すととても客観視しやすいです。


ぜひ試してみてくださいね🖋






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