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才能は不平等、選択は平等

  • のぞみ 箕村
  • 11月10日
  • 読了時間: 5分

動物の進化は、どこにコスト(エネルギー・構造)を使うかによって決まってきました。

すべてを同時に発達させることはできないからです。


クジラは巨大な身体を維持するためにコストを使い、あまり活用できない目は小さくなりました。

深海に生きるイカは暗闇で獲物を捉えるために、

「目」に大きなコストを割きました。


陸上でも同じです。


チーターは、獲物を追う「瞬発的な速さ」にすべてを使っています。

その代わり、骨格は細く、持久力もありません。

ゴリラは、桁違いの筋力を持つためにコストを使っています。

その代わり、細さや俊敏さや速さは手放しています。


何かを得るということは、

同時に何かを選ばないということでもあります。

自然界には、「全部を持つ」生き物はいません。

それが、構造のルールです。


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これは種としての話にはなりますが

人間の個人差を考えてみても同じ仕組みが当てはまります。

私たちの誰もが、使えるコストには限りがあります。


時間、感情、集中力、行動エネルギー。

どこにそれを使うかで、現実に現れる結果が変わっていきます。


そして、生まれた時点で持っている

ポテンシャル(初期能力)は、社会が設定した価値基準で見ると 不平等に見えます。


ある人は容姿に恵まれていて、

ある人は理解力が高く、

ある人は社交的で、誰とでも仲良くなれる。


つい「持っているもの」だけに意識が向きますが、多くの人はその裏側にある 代償 には気づきません。


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容姿が整っている人には、

外側の価値だけを目的に近づく人が現れることがあります。

自分という存在ではなく、「それを利用したい」という意図で近づかれることがあるからです。


そのため、誠実さや本心を見極めるためのコストが発生します。

これはお金持ちという場合でも多くなる現象でしょう。


理解力が高い人は、

歩幅の合う相手が少なく、孤独を感じやすく、人が気づかないものに気がついて精神を消費しやすい構造でもあります。


社交的な人は、

本音を出さなくても関係が成立してしまうからこそ、深い関係が育ちにくいことがあります。


持っているものが違うということは、同時に 手放しているもの・払っているコストが違う ということです。

それは優劣ではなく、単なる違いです。

ただその中で必ず恩恵と代償がセットなのはみなに平等な仕組みなのです。


では、その違いは、人生において「不公平」なのでしょうか。

実際はそうではありません。


人はそれぞれ、向かいたい場所と、叶えたい世界が違うからです。ある人に必要なポテンシャルが、別の人にも必要とは限りません。


長距離ランナーには持久力が必要ですが、図書館で静かに資料と向き合う人には、必要ありません。


セラピストには感受性が必要ですが、ビジネスでは、それが邪魔になることもあります。


必要な能力はいつも、どこに向かいたいかによって決まります。そしてそれはあなたが本音を見つめれば見つかるものなのです。


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問題が起きるのは、

自我が “他者や社会が求める能力” を欲しがるときです。


社会が価値をつける方向へ行こうとすると、本当に必要なものを見失います。


その一例が、骨延長手術です。

本来であれば、怪我をした方などにとってとても価値のあるものですが、健康な方でも「見栄え」の為にそれを行う方が近年増えているそうです。


そこには「背が高い=価値がある」という刷り込みがあるのですが、、

結果として歩くことに痛みを抱えるようになったり、歩行困難、一生その痛みと付き合うことになったり、中には脚自体が壊死して失うことになった方まで存在しています。

これらは医療的なものの進歩の問題と捉える方もいるかもしれませんね。そういった側面もあるでしょう。


しかしながら…足は、本来、誰かから「長いね」と褒められるために存在しているのでしょうか。


歩くために、

立つために、

行きたい場所へ向かうためにあるはずです。


機能こそが本質であり、見栄えは副次的なものです。


しかしその本質の価値を手放してまで、誰かからの称賛と言う一時の優越感を得ることを選んでしまう人々も少なくないのです。

整形的なものは大抵これらのリスクを負うことになります。

しかしそれらについてよくわかっていない若者たちもSNSによって「一時的な見栄え」だけをみて、早まった決断をしてしまえる状況にもなっています。


少しでも痛みを経験した方であれば、想像できると思いますが、実際に生きていく上で、『痛みのない』『自由に動ける』ことがどれだけの救いになるでしょうか?


人生で本当に価値があるのは、

社会が称賛する能力ではありません。



安心感を与える存在、

誰かの話を聞けること、

誠実さ、

感性。


これらもよほどタイミング良く取り上げられない限り、大抵のことは目立ちません。

数値化もできません。

でも、人生を豊かにするのはいつもこちら側です。



だから、何かを見て表面的に、誰かの才能を羨む必要はありません。

羨んだところでそうなるわけでもないですし。

その時間で今あるものを磨く方が何倍も良い。


あなたが向かう場所には、

すでにあなたに必要なものが揃っています。


もしそこに不満があるのなら、

足りないのではなく、

見ている視点が違っていただけなのです。


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「目先の痛みを避けた人生」よりも、「深い痛みを越えて得た感覚」こそが、あなたの美しい輪郭をつくります。


思い通りにならなかった日々、

失敗して自信をなくした季節。

それらが積み重なって

“あなたという唯一の美しさ”が育ちます。


整えるべきは、外側ではなく 内側の認知 です。

内側の世界が満ちたとき、現実は自然と変化します。


本当に変わっていくとき、全ての行動も「不足を埋めるため」ではなく「溢れたものが外にこぼれるだけ」のものに変わります。


痛みを避けるために選ぶ未来よりも、自分の内側を信じて選んだ未来の方が、はるかに強く、美しい。

人生は、「綺麗に見えるか」ではなく「自分を誇れるか」で決まるものです。


その選択権はいつでもあなたの中にあります。

 
 
 

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