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敏感さ=バリアの弱さという誤解|肌荒れの構造前編

  • のぞみ 箕村
  • 6月23日
  • 読了時間: 6分

──肌に現れた“構造的な勘違い”の記録として


私は幼いころ、重度のアトピー性皮膚炎だったそうです。

赤ちゃんの頃には頭まで剃られて、全身に症状が出ていたと聞いています。


けれど、物心がつく頃にはすでに肌はきれいに治っていたので、自分自身としては、「アトピーだった実感」はまったく残っていませんでした。


ただ、繰り返し家族から言われて育ってきたことは、強く印象に残っていました。

しかしながら、幼稚園から小学校のころの私は肌がとても強く、綺麗だったため、それをそこまで意識することもなかったのです。


肌荒れに意識が向くようになったのは、中学生くらいからでした。

小学校の高学年ごろから、ブログにも何度か書いているように、人間関係で悩むことが増え、中学生になった私は周囲に合わせて嫌われないようにと、自分のエネルギーを抑えるようになっていきました。


本音を出さず、情熱を見せたり、全力で何かに取り組んだりすることに対して、周りの反応を強く気にするようになり、無意識に自分をセーブするようになっていたのです。

その頃から、原因のわからない肌荒れが始まりました。


ニキビができたり、日光に被れたり。

皮膚科に行っても「明確な原因はわからない」と言われることがほとんどでした。


そして、診察時に親が「小さい頃アトピー性皮膚炎だった」と伝えると、大抵それが原因だと言われました。

そのこともあり、私は「敏感肌でアトピーの肌だから仕方ない」「思春期だから荒れるのは当然だ」と思い込むようになっていったのです。


──今思えば、それがすべての勘違いの始まりでした。


大人になってからも肌荒れは続き、アレルギー反応も強かったこともあって、自分が敏感肌であることには、疑う余地もないと感じていました。


けれど実際の私は、乾燥で悩んだことがなかったのです。

化粧水を僅かにつけるだけでも肌がつっぱることはなく、セラミドを塗らなくても乾くことはありませんでした。


それどころか、保湿を増やしたとたんにニキビができたり、赤みが悪化することさえありました。


それでも私は長いあいだ、「バリアが弱いからだ」と思い込んでいたのです。

どう調べてもそこに辿り着いたから。

皮膚が薄くて弱すぎるからちょっとずつバリア戻さなくてはならないと。

だからこそ、自分を表現することにも抵抗を感じ続けてきたんだと思います。怖かった。

これ以上荒れたくなかったし。



しかしやっと気づけたことですが、本当はバリアが壊れていたわけでもありませんでした。

私は“敏感”という言葉を、「弱いもの」「守らなければならないもの」だと誤解していたのだと、今になって気づきました。


化粧水をほんのわずか使っただけでも潤いは保たれるのに、それでも赤みや強い炎症が出る。

この矛盾するような反応の原因は、「内側の熱」や「エネルギー」が正しく発散されなかったことによる、構造的な炎症だったのです。


実際、一時的にアレルギー薬を飲んだとき、赤みが引いたこともありました。

つまりこれは、スキンケアの問題ではなく、「体内の調整機能」や「神経的な過敏さ」から来る反応だった可能性が高いのです。


そして、その「過敏さ」こそが、構造的に見れば──

かつて私が本来持っていた、感受性の高さそのものだったと考えています。


振り返ってみれば──

私は赤ちゃんのときにアトピー性皮膚炎を抱えていたにもかかわらず、自分でその症状を自然に克服できるだけの回復力を持っていたのです。


アトピー性皮膚炎は、バリア機能が壊れることで角質層を過剰に生成してしまう状態を指します。

しかし、「角質が厚くなる=守れている」とは限りません。

むしろこれは、「うまく守れず、無理やり防御している構造」と言えます。


  • 水分を保持できない(潤いはない)

  • 外からの刺激に対して過敏に反応する

  • 厚くなっても、バリアは“質的に”回復していない



──皮膚が厚いところと、剥けて膿が出るところが極端に見える症状です。


これはまさに、感受性の強さに心が対応しきれていない状態だと思います。

自己の過剰防衛と混乱が起こることで、結果的に保護できないでいることを意味します。



ですが私の場合、それが自然に、むしろ「薬をやめたら治った」と母が言っていたことと、自我が芽生えるのと同じくらいに完治したことから考えても、、

私は本来から、感受性が強くてもそれを“普通のこと”として受け止められる構造を、すでに持っていたのだと思います。

そしてそれを自然と使っていた。


それは、「入ってくる情報量の多さ」に対して、「自我の認識や処理能力」がしっかり追いついていたから──

構造的に言えば、「感じる力」と「受け止める力」またその受け取ったものを「活かす力」のバランスが取れていた状態だったのです。



けれど思春期以降、人の目を気にして自分の力をあえて出さないようにしたことで──

受け取ったものを活かすところの回路が遮断されてしまったわけです。

これにより、本来は外へ向かって放たれていた熱が、内側にこもるようになってしまいました。


つまり、これらはそれぞれまったく違う理由での肌荒れです。

やるべきことは寧ろ真逆にもなり得る。



だから私は、バリアが“足りなかった”わけではなかったのです。

本当はバリアなんて必要ないくらい、自分の感覚に応答できる構造を持っていた。

けれどそれを、自分自身で閉じてしまったことで──

自分のエネルギーによって炎症が起きていた、ということになります。



ここで、いわゆる「敏感肌」「バリア機能が本当に弱い人たち」との違いを、あらためて明確にしておきたいと思います。


一般的に、アトピー性皮膚炎や乾燥性敏感肌の方々は、乾燥を感じやすく、赤みやかゆみがすぐに出やすい傾向があります。

これは、感受性をうまく扱えず、自分を護る術がまだ育っていない状態です。


そうした方たちにとっては、自分が周囲に流されやすいことや、誰の言葉にも同じように大きく反応してしまうことを自覚し、信用できる人の声とそうでないものをきちんと見極める練習が必要です。

そして、自分で自分を護るという在り方を育てていくことが大切になります。

 



そんなわけで、私の場合は、幼少期のうちにすでに構造が切り替わっていたこと──

それを認識できないまま、過去の記憶や判断で今を見続けていたことによって、ずっと肌荒れを引き起こしていたのだと思います。


「護る」ことで、かえって炎症を生むような構造になってしまっていたのです。


ただし、ここまでの転換が起こるのはかなり稀なケースだと思いますので、基本的にはこれは私自身の例として見ていただく方がいいかと思います。

そのため今回は、私自身の記録として、備忘録的に書いておくことにしました。


また別の記事で、「肌荒れの構造タイプ別の特徴と対処」についても整理していく予定です。




 
 
 

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