誠実さとは強さ
- のぞみ 箕村
- 6月16日
- 読了時間: 4分
私はこれまで、自分と似た体質を持つ人たち──
肌が荒れやすく、自己否定しがちで、真面目で優しそうな人たちを、
無意識のうちに「私と同じ側にいる人たち」だと思ってきました。
彼女たちは、自分のことをいつも責めていたし、
周囲にはとても優しくて、表面的にはとても“いい人”に見えました。

そして私は、彼女達に自分の過去を重ねていました。
誰にも助けてもらえなかった自分。
ずっと「わたしの方が弱い」「可哀想な側だ」と思い込んでいたあの頃。
だから「守ってあげたい」「助けてあげたい」と、ずっと思ってきたのです。
でも──
ふと気づいてしまったのです。
彼女たちが口にしていた「周りの人達があなたの話ばかりするのが辛かった、あなたといると自分が嫌いになる」という言葉。
それを直接私にぶつけてくるということは…
その背景にあるのは、ただの自己卑下や謙遜ではなく、本音では「私の方が注目されたいのに」「悔しい」「腹が立つ」という強烈な感情だっただけなのかもしれないと。
もちろん、それは人間なら誰しも持つ感情です。
嫉妬や劣等感を感じること自体を、責めるつもりはありません。
悪いことでもない。
ただ、その感情を自分のものとして人のせいにせず「誠実に受け止めるかどうか」が分かれ道だったのです。
私がずっと信じてきた「優しい人」「真面目な人」
その優しさが、本当に他人への誠実さから来ていたのか。それとも、“弱さという仮面”で人からの理解や共感を得ようとするための優しさ”だったのか…。
私は、そこに気づきたくなかった。
だって本質では同じ側だと思っていたからです。
でも私が「似ている」と思ってきたのは、体質だけだったのです。
肌荒れしやすい、自己否定しやすい、感情を敏感に拾ってしまう──
そういう“傾向”だけを見て、「同じ側にいる」と思い込んでいた。

でも実際には、私は最初から痛みを抱えながらも自分と向き合い、現実から逃げず、その本質を見極め続けてきました。
だからこそ、結果的に──圧倒的に強くなったのです。
だから、彼女たちがよく言っていた
「あなたとは違う」という言葉は、
本当にその通りだったのかもしれません。
私は、自分の感受性の強さを「弱さ」だと思い込んでいました。
人よりも深読みしやすく、気づいてしまいやすい自分をどうしても責めてしまっていた。
そのせいで苦しくて生きづらいと感じていたから、あらゆる面でもっと鈍感になれたら、楽になれるのに──
そう思ってきました。
でも、どうやっても私は鈍感にはなれませんでした。
そして今なら、それが「私の強さ」だったとわかります。

痛みを感じやすいこと。
気づきやすいこと。
繊細であること。
それは、決して「弱さ」ではありません。
それは感受性の強さであり、内面の深さです。
そしてその感受性に気づき、受け止め、自分自身の目で見つめること。
それこそが、本当の「強さ」なのだと思います。
圧倒的に感受性が強い中で、すべてを受け止めてきたからこそ、今、私はこの形でここにいます。
だからこそ、肌が荒れやすい、人の気持ちを察しすぎてしまう、
そんなふうに感受性が強い人たちは、自分のことを「弱い」と思いがちかもしれません。
でも、それは実は逆なのです。
だってそれは内側の声がそれほど強く聞こえるということだから。
そういう人こそ、本来はとても強くなれる可能性を秘めている。
その「強さ」とは、誰かに勝つとか、何かに耐えるというようなものではなく、自分の内側と、深いレベルでパートナーシップを結べる強さのことです。
その恩恵は計り知れません。

ですから、もしあなたが本当に「誠実な人になりたい」と願うなら。
…そんなパートナーシップや人間関係を築きたいと望むなら。
“弱い人のまま”では、決してそこにはたどり着けません。
強くなることが必要なのです。
それは、誰かに対してではなく──
現実から目を逸らさず、自分自身に対して強く応えられる人になるということです。
鈍感になって、気づかないようにして生きてきた人も、それはそれで、きっと精一杯の自己防衛だったのだと思います。
社会の中では、その方が楽に生きられることもあるし、気づかなければ、傷つかずにすむこともありますから。
でも、あなたもきっと、もう気づいているはずです。
その在り方では、深いパートナーシップには決して辿りつけないということに。
だから、怖くても、見たくないときがあっても、どうか、現実を見て、自分を知ることを繰り返してみてください。
その先にはきっと、
あなたが本当に望んでいたもの、心から求めていたつながりが待っています。

そして──
そんなあなたの“お手本”になる存在が、
まさに私の弟子ちゃんなのかもしれません☺️
私たちは真逆のルートを生きてきましたからね。
それでも今、こうして深い場所でつながっていられるのは、お互いが現実を見て、自分と向き合い続けてきたからだと思います。
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