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過去から見直す自己認知

  • のぞみ 箕村
  • 6月6日
  • 読了時間: 5分

皆様こんにちは😃

ようやくほぼ完全復活を果たし、対面でのセッション・施術も再開致しましたnon.です😂

改めて、ご心配をおかけしました…!



さて、実はあれから身体なケアでも色々なことが起きたり、自身の気づきもたくさんあったのですが、あまりに色々ありすぎたのと深い内容なのでなかなか言葉にして出すことができずにおります。

ブログに書くのは先になるかもしれないけど、かなり覚醒的とも呼べるなことがたくさんありました🙄



でも今日はそれについて書いていくわけではありません。

弟子ちゃんが改めてブログを書いてくれたのですが、彼女の過去の自己認知が変わっていくことで、現在の自己認知が正しいものに還るということが起きたので、そのことについて少しお話していきたいと思います。


彼女のブログからどうぞ。



思い込みが強いというのは彼女のとても素晴らしい武器でもあり、同時に自己認知を妨げるとてつもなく大きな壁でもありました。

この時に話したことは勿論もっと個人的なことがたくさんありましたが、彼女がバセドウ病という病になった理由と、なりながらも大きな症状が出なかったことそれぞれの完璧な采配を彼女自身が本当の意味で理解できたことはとてつもなく大切なことです。

自分にとっての最大の武器は同時に自分にとって最大の障壁にもなること…さらには、その障壁すら愛であるということの証明ですね。




私にとっても、過去の私に対する彼女の認識が変わることで、私自身の過去も報われるということがありました。

つまりこれは、外側の認知が実際の私に追いついてくるというような出来事なわけです。

勿論このことの前には、私自身の自己認知の変化があったこと、先日のブログの後に、冒頭に書いたように身体のことでも覚醒的なことが起きたことが大きな理由のひとつでもあります。


自分の感覚が自分に返ってくるという喜びと同時に、それが今まで閉じていたことが必然だったということも理解できました。

それは彼女のバセドウ病への本当の意味での理解と重なるところもあります。



なんにしても、彼女との関わりによって、私にとっては誰より難しい人を変えることを一番最初に体験していたことを改めて知ったわけです。

どんどんと楽になっていく理由は私は最初がいつも大変だったからなのかもしれません。




詳しく書いていませんでしたが、最初に入ったブラック企業のブラックのレベルも他の人から聞いた話の比ではありません。クビになった同僚の理由もあまりにも理不尽な上、ミスをしたりクビになった社員の名前を全社員に流し、「死刑」だと書いてあるメールが毎日のように流れてくる場所。そんなおかしいところにたくさんの人が勤め続けていたというこの世のおかしさ。私はそこで一人暮らしをして、周りに知り合いも勿論いない中、精神を保ちながら、寝る為だけに家に帰り、同時にストーカー被害を受けたことで、限界になり実家に帰りましたが、その後の職場でもストーカー被害を受けましたし、上司の横領や仕事の押し付け理不尽な被害もたくさん受けてきました。

でもなんとか精神を病まずに耐え、その状態の中でも集まる人達の話を聞き相談を受け続けてきたわけです。

彼女のブログにもありましたが、当時は自分のプライベートを削って、です。



ですから、精神的に負担が大きいというのは、単なる能力の話だけではなく、それに伴う現実の大変さのことを伝えていたわけです。

それだけ我慢してねという話では勿論なく、そうしたことを余儀なくされた結果ここまでの理解の位置にいると思っています。

だから、それを抜きに比較できるものではないというのは単なる事実です。


また安心して欲しいのですが、元々のブラック企業も、私が抜けた後数年も経たずにちゃんとつぶれています。



ただその大変な場所にいながら、生きてこれたのは、何より家族の支えがあってこそ…私には帰れる場所があったからですし。

ただ勿論家族とは言え違う人間同士ですから、その中でもお互いを理解する為の努力もたくさんしました。


それに新たにかけがえのない出会いもありました。

ブラック企業から抜けた後の仕事場で出会った2人の存在によって(以前ブログに書きましたが、私にとっては特別な2人です。)私の人生には光が差しましたし、その後同じ場所で弟子ちゃんにも出会ったしね😌


そして実は今の彼にも、弟子ちゃんと出会う前から、唯一の同期として出会っていたのです。

当時はお互い接点もほぼなく印象もなかったですが🤣笑

いつもそうやって、ちゃんとフラグは立っているんですよ。内側の計画は私たちにとってはあまりも壮大がw



まぁ、ですからね。

過去の体験も全てあなたの大切な一部です。

それがどんなものであっても。

例えば彼女のように、甘やかに過ごしてきた結果、人とすれ違う現実を大人になってから味わっても、普通はそのことに気づかないまま生きていくことになる。

私のようになんでもこれは自分の責任であり、克服すべきことだと淡々と生きてきたとしても、それを糧にできないで押し潰されてしまうこともある。

だからこそ、出会いというのはとても大切なことですし、あなたが今この文章を読んでいることにもとても意味があるのです。


つまりあなたは今自身の過去を見直して再定義すべき段階に来ています。

彼女のように過大評価をしていたのが、私のように過小評価をしていたのか、私たちのようにあまりにもわかりやすい場合は少ないでしょうが、どちらも含んでいることも多々あります。


でも、彼女も書いてくれている通り、仮に過大評価をしていたことを知ることで、一時ショックを受けたとしても、そのことは本来の本当に欲しかったものを手にする呼び石にすぎません。

ですから、どうか怖がらないで。

今新しい視点で過去を見直してみてくださいね。

 
 
 

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