“素晴らしい人”にならなくていい理由
- のぞみ 箕村
- 6月25日
- 読了時間: 6分
有難いことに、こうした誤解も最近ではずいぶん減ってきたのですが──
それでも時々、向き合ってくださる方から
「これを言って、non.さんに嫌われたらどうしようと思ってました」
「こう思われてるんじゃないかと不安でした」
という言葉をいただくことがあります。
でも、これももう何度も言っていると思いますが、そもそも論として私は、内側のセッションをするときに好き・嫌いという感情で人を判断していません。
そう言った次元で見てないと言えばいいのか…
とにかく視点が違うのです😳
そもそもこちとら、産まれた時からずーっと、色んなものを見たくもなくても見たきたわけですから、ちょっとやそっとのことじゃ何とも思いません…🤣
強いて言えば、「どれだけ本音を出しているか」「どれだけ自分の内側と向き合えているか」──そこが見えている方が、話がしやすくて助かる、というだけのことです。

そして何より、構造として本当に大切なのは、私を含む「他人にどう思われるか」ではなく、あくまでも自分の目線です。
「嫌われたくないから、本当のことが言えない」「良い人でいなきゃ」「ちゃんとしていなきゃ」──そう思う気持ちもわかります。
でもそれは、普段の生活なら仕方ないけれど、セッションでされてしまうと、本音を抑え、内側の存在を無視し続けることになり、自分の内側との関係はどんどん壊れていきます。
どんなに完璧に見える言動をしていたとしても、内側を押し殺している時点で、構造的には完全にズレてしまうのです。
だからこそ私は、素晴らしい人を「演じる」ことよりも、「どれだけ本音でいてくれるか」を大切にしています。
だからこそ、non.さんに好かれたい!と思ってくださるのは…とても有難いし嬉しいのですが、それであれば尚のこと自分の内側と誠実に向き合ってくださいね🥺
それに、そもそも私の好みに合うかどうかは、私自身の人生やパートナーにだけ意味があることで、他の方の人生には関係ありません。
「私にどう思われるか」よりもはるかに大切なのは、あなた自身が、あなたのような人とパートナーになりたいか?
あなた自身が、その在り方を好きと思えるか?という問いです。
それが“本当の自己認知”の始まりだと私は思っています。

だから、これまでが、そして今がどれだけダメでも構わない。
「こんな自分じゃだめだ」と思って演じるのではなく、「そんな自分なんだな」とちゃんと認めるところから始めてください。
単純に事実を見ればいいだけです。
変わりたいなら、変わればいい。変われないなら、まず受け入れる。
どちらも、自分の内側との関係を築くための第一歩です。
先日のブログに書いた方も…ご自身の在り方を本当の意味で見つめ直してくださいました。
アルミーは恐らく簡単には許してくれないでしょうが、ここからがその方の本当のパートナーシップの始まりとなります😌
人が変わるのは、本気で反省したときだけ。
これは私が長年にわたって確信している事実です。
でもね、本気で変わりたいと思うなら、いつからでもやり直せる。
私は、そういう方には何度でもお伝えしていきますよ。
…そして、ここでひとつお願いがあります。
「non.さんはきっとこう考えているはず!」──たぶん、それ、当たりません🤣🤣
もしあなたが黙っていても人の内側の世界の様子や誰が何を考えてこうゆう特徴があるとわかるとか🌝
今この人はここで行き詰まっていて身体のここに不調があるだろうがそれはこの自己認知から来ているだろうとか🥷
初めての仕事でも、この仕事はここをこうすればできるから一番大切なのはこれだとか🖋️
…あとは、今日買った野菜が腐ってたのはこれを示しているとか🧅🍅🍆
庭に置いて在る抜かれて枯れた雑草を通して内側が伝えたい深いメッセージと意味がその人の人生に具体的な行動としてら役立つ形で伝えられるとか👍
これが日常として自然にできるという人なら私の視点に近いのでわかるかもしれませんが…、
多分というか恐らくいないんですそんな人。
つまり、上記のように私は少し独特なレンズで世界を見ているので、これまで「non.さんはこうだと思って…」と予測して一致していた方は、ほとんどいませんでした。
「私はこう思うけど、non.さんはまた全然違う視点で世界を見てるんだなー」と思っていただけると、誤解がぐっと減って、私としても本当に助かります。
……まぁ、本来なら誰しも違う視点なんですがね。笑
ということで、私はあなたが今どんな状態でも、本気で向き合う気持ちさえあれば、それで十分だと思っています。
誰よりもまず、あなた自身があなたのことを認めていきましょうね。
それから!
これも大切な補足なのですが…😳
ここで言っている“本音”とは、何でも思ったことをそのまま口に出していい、という意味ではありません。
もしそれを「好き勝手言ってもいい」「どう思われても構わない」というスタンスで実行してしまえば、それは単なる“自我の快”を優先した開き直りになってしまいます。
「誰にどう思われてもいい」──それも一つの自由です。
ですが、その自由は、他者との関係性を断ち切る方向に自ら舵を切る選択でもあります。
そして結果として、現実の中で人と関われなくなったり、信頼を失ったり、
思っている以上に生きづらさを招いてしまうことがあるのです。
私が「本音を大事にして」と伝えているのは、
“自我がラクになるための正当化”ではなく、
内側が本当に感じていたことに誠実に向き合ってほしいからです。
その感覚は、もう自分で隠せるものではありません。
どれだけ言葉で否定しても、内側の世界では全部わかっています。
だから私は、「そもそも、私(non.)には見えてしまうんです」と伝えます。
つまり、自分の内側には嘘がつけないということ。
そして、私が誰にでもズケズケと全てを言わないのは、その人の“プライド”が反応して、聞く耳を持てなくなるタイミングを知っているからです。
無理に踏み込んでも、結局その人のためにはなりません。
だから私は、届くような言葉を選びながら、少しずつ本当のことを伝えています。
ですが、本人が「自分で気づいてから」来てくださると、
こちらが伝えられることも、変化のスピードも、まったく違ってきます。
もしあなたが、
「本音を出したいけど、それが自我なのか内側なのか分からない」
そう思ったとしても、あなたがその時点で聞いているのは、ほとんどの場合“自我の声”です。
ただし、その本音の中に隠れている“内側の声”の読み取り方は、すでにたくさんお伝えしてきました。
ブログや動画でも繰り返し伝えてきましたし、
本には構造として、もっと明確に整理して書いてあります。
ですので、もし迷ったら、どうか立ち止まって、そのどれかを読み返してみてください。

“どこからその言葉が出てきたのか”──その出どころを見極める力は、
誰にでも少しずつ身についていきます。
自分の内側に嘘をつかずに、でも誠実に現実と向き合う。
そこにこそ、本当の意味での「本音の力」が宿るのだと私は思っています。
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