神という言葉の意味
- のぞみ 箕村
- 11月11日
- 読了時間: 3分
これまで、私の私自身の内側のことを「神」という言葉で示してきました。また通常の人と少し違うというお話もしてきました。
それら全ては宗教的な意味ではありませんし、特別に扱われたいという意図もありません。

理由はとてもシンプルで、そもそも自己認知を仕事として説明する上で私個人の違いもきちんと明確にしておくことが必要だったこと。
ただその層を説明できる適切な言葉が、当時私の中に存在しなかったからです。表現するための概念や用語がなく、内側も「神」と呼ぶしかなかったのだと思います。
多くの人は、現象として起きた出来事を見て、そこから意味や理由を考えます。でも私の場合は、現象になる前の段階が先に見えるような感覚があります。
「答えを探す」というより、最初から答えが提示されているような感覚です。これは以前もお話したかもしれませんし、弟子ちゃんのブログの中にもあります。
■ 層(階層)の違いについて
認識の層を、とても大まかに分けるとこうなります。
現象(結果) … ほとんどの人が見る領域
構造(仕組み・法則) … 分かる人がいる
原因(0) … 内側に意識を向けると触れられる場所
構造が生まれる前の層 … 私が見せられてきた位置
私は構造を生み出している側ではありません。
ただ、構造が生まれる前の“起点”を見ているだけです。
現象として形になる前の、もっと手前の段階に触れているような感覚があります。
そして、それは優劣ではありません。
「内側が見える」という人とも、私が見ている“位置”が違うだけです。

内側の何かやビジョンを見る人は一定数います。
ですが私は、そのさらに奥にある、構造が生まれる「成り立ち」そのものを見ています。
ただ、それだけの違いです。
構造でも現象でもなく、原因より前にある層。
この層を説明できる言葉が現実世界には存在しなかったため、内側は便宜上「神」という言葉を使っていました。
それが一番わかりやすかったからです。
実際それによって私にはこの内容の理解に繋がりました。
ある意味では特別というのが事実ですが、人より上であるとかそんな意味ではなく、説明する言葉がなかったので、そう呼ぶしかなかっただけです。
またこういった話をすると、なんでも完全にわかっているように聞こえるかもしれませんが、勿論私も万能なわけではありません。
多くの方が既に理解されているように、わかっていることと、実際に体験することは別です。
構造や答えが見えていても、感情が追いつかないこともあります。理屈では理解していても、実際の体験の中で揺れることもあります。
だからこそ、私も同じように人間として生きています。

また神という表現をしていたとしても、私は構造の仕組み自体の何かを創り出しているわけではありません。
すでにあるものの成り立ちを、先に見せられていただけです。
だから、神だなんて言って偉そうに、ともし思われてしまったことがあったかもしれませんが…
どうにも、そういった表現しかできなかっただけです。
これは先天的な「脳の使い方(認知の位置)」の違い、ただそれだけの特徴だと思っています。
ただだからこそ「いつか誰でもそうなる」という話ではありません。そもそも見ている場所(位置)が違うのは、そういう構造の違いなのだ、と。
そう思っていただけるほうが、誤解がないのではないかなと感じています。
何より私のことによって、どうかご自分の自己認知を誤らないように…と願ってこのようなブログを書いてみました。
弟子ちゃんのこともあったのでね🥲
彼女のブログもぜひ覗いてみてくださいませ。
こちらや
こちらも
では、寒い日が続いておりますので、皆さまどうぞご自愛くださいね☺️
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