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違和感の正体

  • のぞみ 箕村
  • 6月23日
  • 読了時間: 5分

少し前に、「誠実さとは強さ」の記事で大きな気づきがありました。

そこから段階的に、気づきがあり、たくさん手放しをしたのです。

そして、最後肌荒れの構造的な気づきにより、誠実さとは強さと、その次のブログで言っていた「本当の意味でやっと涙が出た日」のメッセージを腑に落とすことができ…昨日大きく自分への認知の転換がおきたのです。


そして、それははっきりと“外側”に現れる出来事が起きまして!

私はようやく本当の意味で、これまでのすべての違和感に線を引くことができました。



見た目や態度や雰囲気が柔らかいから、大人しいから「優しい人」に見えるけれど、実は肝心なところで自分のことしか考えられない人。

“自己否定してるから許される”と思って、罪悪感を盾に人を傷つける人。


それでもその人達は、自我では本気で「傷つきやすいし可哀想な私」を常に抱えていましたから、私は、「私が少しでも強く言ったら、意図は伝わらずこちらが悪者になって相手は泣いてしまうかもしれないし」と気を遣って、ずっと優しく接してきました。


それでもご依頼があれば、

本当のことを伝えるのが私の仕事だから──

何度も言葉を変え、視点を変え、角度を変えながら、何年もかけて伝えてきたんです。


ただどれだけ表面的に優しそうな言葉を並べても、どれだけ「感謝してます」と言われても、

本当のところは何も見えていなかった。


私が伝えていたことは、“自分の心地よさのため”に、都合の良い言葉に変えられ…

全く違う意図として受け止められていた。


まぁ、ほんとに何度も味わってきたことですが。

…こんな伝わらないもんかね?!と🤣笑

正直、悲しくもなりました。



でもそのくらい人は言葉をそのまま受け取れない生き物なのでしょうね。



伝わらないだけならいいんですよ。

仕方ないしね!

本当にいくらでも伝えます。


弟子ちゃんにだって何年伝えてきたか…🤣笑



でもね、この理論を知りながら、平気で誰かを傷つけ、内側を裏切るのは…本当に悲しい。


とは言え、それは単なる私の気持ちであって。

構造をわかっている方々ならお分かりでしょうが、それをしても困るのは私ではなく、その方ご本人なんですけどね。



本当の意味での悪人なんて、どのくらいいるのでしょうね?

人は誰しも良いところがあるんですよ。

良いところがない人なんてきっと存在しないし、見つけようとしたらいくらでもたくさんある。

だからこそ、いざと言う時が大切だと思うんです。


このことを知らずに生きているからそうなってしまう人はたくさんいますが、知った上で…何度も伝えた上でその選択をするのかぁと。

だからやっぱりいくら表面上では…言葉や態度では優しいこと言っているようでも、違和感を強く感じる人は平気で嘘をつき、本当に簡単に誰かを傷つけるし、それすら正当化して、見ようともしていないことまでハッキリと見ることができました。



そのことで、ようやく私は受け止めることができました。

どれだけ相手が優しそうでか弱そうでも、やってることの中身をみたらわかる。

ルールを破り誰かを傷つけても、それすら正当化して美談にしてしまうくらいに責任感のない人達なのだと。



勿論ね、、

生きていたら、寂しくなって、本当に辛くて逃げ出したくなる時があるのは仕方ないと思います。

甘い夢だろうが、人生一度きりだからいいんだと思うならそれでもいいと思うんですよ。

そもそもそんなのその人の人生だから私の口出しできるところじゃないし。

私だって逃げ出したくなるときは何度もあったから。


でもね、そういう人に限って私に怖いとか言うのを私も私で無意識のうちに受け入れてたのは違ったよねと気づいたのです。

私からしたら「むしろ私にとって恐ろしいのはあなたですよ」と今ならまっすぐに言えるなぁ、と。



これまで…そんな人達と関わるとき、その人達の内側は、怒り狂うか、とにかく悲しいと言っていた。

だけど、それをそのまま伝えてもどうみても受け止められる状態でないのは私もわかっていたから、私自身の声を相手に合わせるように抑え続けてきたんだと思います。

でも、それが間違いだったと改めて気付かされました。


それにしても、感じていた違和感はやっぱり真実という出来事が、、あまりにも思ってた通りだったことがわかり。笑


正直この感覚凄すぎるやんと自画自賛したくらい🤣笑


そしてそのおかげで、ずっと言いづらいけど言いたかったことも言葉にする機会が与えられて、私は今、かつてないほどスッキリしています😂✨



これからは、自分の感覚を疑わない。

それがどれだけ柔らかく美しくラッピングされていても、それに気を遣って合わせることはもうしない。


私は、その人たちの「自我」ではなく、

その人たちの「内側の声」の味方でいることを選ぶ。


だからこそ、私の内側の気づきをこうして言葉にすることが、厳しく聞こえてもきっとその人のためにもなることを──

今の私は、ちゃんと知っています。

それに、このことをブログに書くことも、すべてご本人には別途直接お伝えしていますから。

それが私なりの誠実な在り方です。



……まぁ、本にも書いていた通りなんですよね。笑

私の本質はもともとこうだったけど、

最後ちょっと変な方向に向かっていた“優しさ”を、

ようやく正しい向きに戻せた気がしています。


はー、ここ数日の解放感は…とんでもないぞ!😂


 
 
 

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