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他者に許してきたことを、自分に赦すまで

  • のぞみ 箕村
  • 8月2日
  • 読了時間: 4分

施術中にどうしても頭が痛くなってしまう場面がありまして。

慣れていましたし、もちろん施術には一切の支障がないように整えていますし、お客様にご迷惑をかけるようなことはありません。

けれど以前、ふとした雑談の中で「実は、たまにそういうこともあるんです」と、チラッと口にしたことがありました。


それを聞いていた、姉妹で通ってくださっているお客様がいらっしゃって、

それ以来、お会いするたびに「non.さん、今日は大丈夫ですか? 無理されてないですか?」と、毎回とても気遣ってくださるようになりました。


私はそのたびに、

「あぁ、プロとしてこんなこと言うべきじゃなかったな」と、どこかで反省していました。

自分のコンディションの一部を表に出してしまったこと。

相手に気を遣わせてしまったこと。

“どんなときでも変わらず提供するのがプロ”だと、ずっと自分に言い聞かせてきたので、その理想から外れた自分に対して、どこか苦しさを感じていたのです。


でも、同時に――心のどこかで、ありがたいなと思っていました。


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私はこれまで、誰に対しても平等に…、ずっと同じことを繰り返し呼びかけてきました。


「どうか、自分の内側を大切にしてください」

「目の前の出来事から、内側の感覚に耳を傾けてください」

「誰かに何かをしてもらうより、自分自身に応えてください」


でも、それが伝わらないことの方が多かった。

大抵の人は自分の受け取りたいように言葉も文字も湾曲して受け取るものだから。

それも当たり前のことだと思ってきたし、それを受け入れ耐えるのが“この役割”を担っている私の宿命のようなものだとも思ってきました。


相手がどれだけ私の言葉を無視していても、私を慮っていなくても、

「でもその人が自分の内側に向き合っているのなら、それでいい」と、勝手に割り切ってきた部分もありました。


……だけど、そんなふうにして無視されたままの“私自身”は、本当はずっと置き去りにされていたのだと…、今は思います。


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そしてある日、お姉様の方が、静かにこう言ってくださったのです。


「ずっと思っていましたが…あまりにも大変ではないですか?

non.さんはどうなっちゃうんですか?

もし話を聞いてもらえなくなったら寂しいけど……でも、どうか自分を優先して欲しいです。」


その方は、私の様子やブログを読んで、そう感じてくださったそうです。


私はその時、「ありがとうございます🥹本当にお優しいですね…とても嬉しいです…!」というようなことを笑って返しました。

けれど一瞬真顔になってしまっていたと思います、その言葉が胸の深いところに、静かに、でも確実に刺さっていたんです。


あまり共感をされずに生きてきたからだと思いますが、これまで常にみんな「悩んでいる人」側の気持ちに立っていたから、最終的なところで私の側に立ってみてくれる方はいなかったのだと思います。


その言葉が私にとってどれだけ大きな変化なのかは徐々に身に沁みてきました。


段々と、ですが😂

「ああ、私は…守られてもいいんだ。同じように私の心も大切にされてもいいんだ」

ずっとそう、思いたかったけど、何故かできなかったことが、やっと思えた気がしたんです。


そして、その感覚とともに、ずっと聞こえないふりをしていた内側の声が、あまりにもはっきりと響いてきました。


「どうして周りには許すのに、自分にだけは許さないの?」

「なんで私のことだけ、こんなにも後回しにするの?」

「いつまでそうして、自分を犠牲にするつもりなの?」


――私はどれだけ相手が私の言葉を無視していても、私が傷ついていようとも、

「それでもその人が自分の内側を大切にしてるなら、まぁいいか。仕方ないもんね。」って、

当たり前のことのように割り切ること、そこから傷つくということを無くすことこそ、自分に求められていることだと思っていました。


でも、それは私が勝手にそう思い込んでいただけでした。本当はずっと、私の内側は嘆いていたのだと思います。

内側の望む素晴らしい人にならなくてはと己に課すことで、寧ろ私は「私自身を本当の意味で、尊重も優先もできない人間」になっていたことに。


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あの日いただいた一言は、

そんな私の心に一石を投じてくださったようで、その波は内側で大きく広がっています。

本当の意味の「平等」を自分にも与えていきたいと思えました。

 
 
 

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