人間は地球にとって存在害?
今日は凄く長いです👼
良かったらお付き合いくださいませ。
私には、子供の頃から芽生えてた気持ちがありました。
それは、「自然にとって人間の存在は、害なのでは?」というものです。
恐らくは幼い頃から大好きだったジブリを何回も見ながら、勝手に私がそこだけを強く受け取っただけなのですが、、
少し成長して、視野が広がり知識が広がるほどに、自然の凄さが身に沁みて、より一層その考えが正しいように感じるようになりました。
他の生物達は自然界に上手く適用するよう自らを変えているのに、人間は自然界の方をコントロールして変えているように感じたからです。
自分達が世界の中心という考えも、実際には自分を中心としてしか世界を見ることができないので間違えているわけでもないし、そもそもそうであることしかできないのですが。
でも、なんだか人間ばかりが自分達の為だけに、他のものをなんでも良いように変えてしまっているような気がしていました。
そう感じられるような情報や物語もたくさんありましたから、他の動物達は素晴らしくて、人間だけが悪だ、、
なんて偏った思いを抱いている人も中にはいるのではないかな?と思います。
私はたくさんの生き物達を身近に観察できる環境にもいましたし、何より生き物に興味があったので、色々と知る事ができました。
だから、その「人間以外の動物たちは素晴らしくて、人間は愚かだ」みたいな考えには、今ははっきりと同意できませんと言えます。
何故なら、生き物達は皆、自分の快適さを優先的に選んでいるからです。
人間だけに限ったことではありません。
たまたま人間が、科学を扱うことができ、自分達の身体から産み出す以外の方法で自分達に良いような変化をもたらすことが可能であっただけで、生物達を観察していると、もし彼らにもそれが可能であれば、自分たちの快適なように造り替えただろうなと確信できるからです。
それを実際に見て感じられた時、とてもホッとしたことを覚えています。
それに、自然だけが素晴らしいと思う人はいないと思います。
もし仮にいたとしても、その人たちは必ず生きて行く中で文明の助けを借りています。
それは、道具一つとったとしてもそうであるし、知恵の一つを取ったとしてもそうであるからです。
完全に自然だけが素晴らしいのであれば、そういった知識にも触れることなく、早い段階で死んでしまうだろうと私は思います。
例えば自然界には、毒が効かないような進化を遂げた生き物などもいますが、人間はそうではないし、身体はかなり弱いからです。
だからこそ、生きて行く上で自分達を守るためにできたのが文明であり、その中には科学なども含まれますが、それらも全て自然のものから生まれています。
そもそも何も存在しないところに何かを産み出すことが今の科学では不可能なように、科学とは自然界にあるものの形を変えているだけであったり、自然界にあるもののことを学びそれを真似する、取り入れることで様々な道具や機械を作り出しているものだからです。
科学は自然から得た知恵の形なのです。
ですから、科学と自然が相反すると思っている人もいますが、科学こそ自然をもっとも偉大だと思うからこそ研究した形なのです。
例えば、自然派だから科学物質などは全て身体に悪いもの、などと考えている人は、本質を全くわかっていないし、本当に悪いかどうかはその辺の動画を見るだけではなく色々と文献を参考にすると良いと思います。
例えばよく言われる農薬だって悪ではありません、そのおかげで安定して野菜が作られるので、どんな時期でも食べられるようになりましたし、虫の毒で死ぬこともなく、安心なのです。
完全に天然だったら必ずしも安全とは言えません。
その可能性を無視して、身体に悪い成分が含まれているのでは?!という、その部分にのみフォーカスして唱えている方も多く、それが本当に悪だとどうしてわかるのかわかりません。
薬も量によっては毒になるように、本当にたくさんの研究をして作られているし、常に改良されているのに。
だから、一方的すぎる意見を鵜呑みにするのは少し考えた方がより視野が広くなるし本質に繋がっていくでしょう。
話が少し逸れましたが、そういうわけで、私たちは自然からはたくさんの恩恵を受けています。そもそも住むところが他にないわけですから、この地球環境には感謝する他ないですが。。
考えてみると、地球の表面にしか生きていない私たちを含めた生物達は、地球を人間の規模で考えたときには、皮膚の上の常在菌のようなものです。
そんなに見えないほど小さな存在です。
だからこそ、地球が実際にどう感じているかは私たちには計り知れません。
ここまでのことは、これまでもずっと感じていたことでした。
ただ、引っかかっていたのはその先です。
だとしたら、私達をもしその例えで考えるならば、腸内細菌の話で言うならば、悪玉側だろうということ。
人間にとってのウイルスのようなものが、地球にとっての人間、人類なのだろうな、という部分でした。
地球のサイクルのまま環境を大きく変えることなく生きている他の生物に比べたら、そもそも人間が実は宇宙から来た存在なのだと言われることも不思議ではないなと。
まさにウイルスのように🦠
ただそれでも、自分達の快適性を求めること、安心を求めることは他の生物となんら変わらないこと。
生物として全く間違いではありません。
それに、これまで生きてきて文明を築いてきた人々の想いや、私の個人的な人間としての気持ち、大切にしたい人達とのこと…、それを否定することもできませんでした。
トンネルの1つ作ることも、水を普通に飲めることも、自然の脅威を感じれば感じるほど、そもそも最初そのことを形にし始めたとき、どれだけの膨大な人が命を落としたかなんて、想像力がなくともわかる事です。
そして、そのおかげで、今この快適で安心を楽しんで生きている。
それは決して軽いものでも、無駄にして良いものだとも思えません。
ただ、地球のことや、動物達のことを愛するほど、頭の片隅で罪悪感がよぎることがあったのでした。
彼らからしたら、いない方が良い存在なのではないか?と。
ただ産まれた以上、自分達の快適さを求めてしまうことは、本質であり悪ではないのだから、仕方ないのだなぁ、とどこか諦めにも似た納得をさせていたのです。
だからだと思うのですが、
「地球のためにできること」
という表現にも疑問をいつも感じていました。
地球温暖化に伴う気候変動や、津波などの自然災害など。。
それはあくまで人間主観の場合の、災害なのです。地球からしたらもしかしたら、何もおかしなことはなく運動して肌の温度が蒸気したり、化粧水で皮膚をびしょびしょにする、それだけのことかもしれないのに。
実際には、上手く循環しないようになってしまったからこそ、津波が大地に海のミネラルを与えて土壌を豊かにしている部分もあります。
でも人間の視点からみたら、それは恐ろしく起きてはいけないこと。
だって私達は人間として生きていますから、恐怖し、忌み嫌う人達の反応も全くその通りだと思うし、私だって経験のど真ん中にいたらそうなるだろうと思います。
でも、あくまでそれは人間が地球に生きていくっていう為の視点なわけです。
その為に不都合なことが起きてきたから、自分達の為に危機感を持てという話なのに、それをあたかも地球の為に、というそんな表現が引っかかったのでした。
ただの私たちの為だけなのに。
まるで地球の思っていることがわかるかのように。
そんな自分勝手さも嫌でした。笑
だから、自分だって人間で、しかも、実際快適さを求めて文明を使っている、そのことに感謝している。その一方で自然が好きで動物達と一緒に暮らしたくて。そんな矛盾で無意識のうちにずーっと人間という生物、つまり自分のことも嫌ってたのだと思います。
自分にとっての快適さを求めすぎてしまうことで大切な何かを失っている、傷つけている気がして怖かったのです。
それは本能だけれど、もっと広い視点では悪だと思い込んでいたから。
でも、そんな私の視点が狭すぎることがわかったのです。
例えばそんなことを何1つわかっていない子供でも、科学の快適さを選んで取り入れているし、壮大な自然を前にすれば自然と心地よさを感じてしまう。
時に感動してしまう。。
どうしたって。
それはつまり頭ではなく、内側は、本質的なもっと広い視点ではちゃんと、その両方を選んでいるということです。
その時、ああ、そうなのだとすれば、もうどちらも選びながら、この命をただ生きるしかないのだと深く思えたのです。
例え人間が、ウイルスだとしても、それでも自分達の快適を求めていきることは生き物としては自然なことだから、と。
だから、私は私を生きることしかなくて、それしかできないんだから、せめてめいいっぱい生きようと。
これを考えている間にも、内側は本当に色々なものを見せてくれました。
山々の繋がりが人間の皮膚の構造となっているような映像や、川の流れと水槽の濾過の模倣のこと、大腸菌のDNA構造と遺伝子の回路のこと…細胞と血管…以前学んだ事なども交えながらばーーっとたくさんな映像が流れ込みました。
そのときに急にこのことを文章として残そうかなという気持ちになりメモをとり始めたのですが、常在菌のことを例えに出すにあたって、皮膚の常在菌の情報について確認しようとしたら、
なんと「ウイルスは悪じゃない」という記事を見つけたのです。
その中にあったのは、ウイルスのおかげで人類やその他の生き物が進化することができたということ。
これは、以前はわかっていなかったことが最近明らかになった研究であり、これによってダーウィンの進化論だけでは進化について語れないというような事が書かれていました。
それを読んでいる私に
「ほらね、全部大丈夫なんだから、
ちゃんとあなたは自分の幸せを追求していい。
それが全ての為になっているんだから」
という声が聞こえたのでした。
そもそも、常在菌がどう頑張っても、人間の皮膚にあるものや自然と付着したものをなんとかするくらいで、外から何かを差し込んだりとかそんなレベルのことではないわけです。
だから、いくら人間の偉業と感じていたとしても、影響の大きさを感じたとしても、実際にはそれはその程度のものであることもわかりました。
ただ、最近は研究でも明らかになっているように、腸内細菌によって人は人格まで変わるということ。
そのくらい、小さいんだけど、結果的に大きな影響を与えるものでもあるということ。
そして、その変化というのは、私達が心配するようなことではなく、進化の一部なのだということでした。
その時に、中表になっている映像が浮かんできました。内側が宇宙になっている私たち。
地球が連動している私の身体。
私の1つが皮膚の常在菌の1つ。
「1人の人間が一生の時間をかけても、植物一つの生態のすべての回路や成分などを解明する事ができないように、その道は限りなく果てのない道である。
宇宙を知りたければ、視野を広げたければ、最大を知りたければ、最小を無限に学ぶしかない。
そうした時、君は我々に寄り添っている。
ただ、それをわからなくても、常に恩恵の上を誰もが歩いている。」
と言われたので
「確かにどれほど学んだとしても経験も時間も限られていて、、
視野が広がるには知識と経験のどちらも必要だから、あなた達のような視野はどうしたって見る事ができないのはわかっている。でも本当に目に見えないほど小さなことしかわからないんだね。
でも、それしかできないし、少なくとも私達にとっては莫大な影響があることだから。」
と返したのです。
そしたら、
「その中でも君はいつも私たちに寄り添おうと、君にできる限りの広く高い視野で世界をみている。だからこそいつもたくさん与えたくなるんだ。本当に偉いねぇ。」
なんて頭を撫でられた感覚があったのでした👼笑
…
とまぁ、そんなことも考えるともなく考えながら、旅の帰路に着いたのでした😂
長年の突っかかりが取れたというか、本当に楽になる感覚がありました…!
私が赤ちゃんの時からアトピーを含むアレルギー体質だったのは、こういった部分の影響もあったのかなぁとも感じましたね。
本当はもっと膨大なメッセージを得たのですが、ただでさえ長い上に収拾がつかなそうなのでこの辺で🤣✨
お付き合いくださりありがとうございました👼
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