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過去の清算


せっかくなので、この機会にもう少し自分の話をしていこうと思います。


前回の記事の中では、子供の頃の同級生達とのことを話したりしましたが、私が人間不信になったことの要因は、また別の部分にもありました。


同じく小学生の時のことです。

前回の記事にも書いたように、私は運動が得意でしたが、これもオールマイティだったので、短距離でも長距離でも球技でも問題なく、学校では1番を取れるくらいにはできたのでした。

(後にサッカーを始めて卒業時に日体大の人に誘われるくらいには)


ただ、その能力に対して身体が追いついていないことが多く、怪我や体調不良が多かったのも事実です。特に子供の頃は顕著でしたので、喘息も酷く、運動がかなりできるのに、保健室にもかなりお世話になるような不思議な体質でした。



この前提を持ってみると、わかりやすいお話かもしれません。


ある時に、持久走大会がありました。それまでの体育は問題なく走れていましたが、当日風邪をひいてしまいまして、母が連絡帳に喘息の為休ませてくださいという旨を書いてくれまして、先生に出しました。


しかし、これはサボりだから認められません。と言われ走らされることになりました。

私は体調や喘息のことを説明しましたが、全く聞いてもらえず、仕方なくそのまま走った結果、発作で酷い状態で、いつもの見る影もなく最後に1人で残るような形で走り切った後、倒れました。

保健室に別の先生が運んでくれたようでした。


だから言ったのになぁと頭の端で思っていましたが、ほとんど意識はありませんでした。

母が迎えにきたときに、先生は「私は何も聞いていなかったのです。申し訳ありません。」と言ったそうです。

他のお友達から後から聞いた話では「先生は何も聞いていなくて、喘息のことも知らなくて、本当に驚いてしまった。あんな風に自分勝手に走ってはいけない。」と言っていたそうです。


それを聞いて、本当に驚いたことを覚えています。

せめて疑った反省くらいはしてくれるだろうと思っていたら、まさか自分を守りに守って嘘をついて、私が勝手に迷惑をかけた人間にされているとは。

それを子供が言うならまだしも、正しいことを教えるはずの教師が、大人がするのかと。

そんな衝撃でした。


勿論先生方の中には素晴らしい方もいたと思います。これは、前回の記事の中で、私にも仲良く話をしてくれる友達も勿論存在したように必ずそうした人もいたのでしょうが、

やはり、嫌な経験というのは強く刻まれてしまうものなのですよね😅


大人と言えど、こうやって自分の為に嘘をつく、何があっても私を守ってはくれないということはこの時に強く刻まれてしまったように思います。


これを証明するように堂々と嘘をつく人達や責任逃れをしても飄々と生きる、彼等の言う自己愛に溢れた人達もたくさん見てきました。



気づきというのは多面的に何度も訪れるもので、

実は大人になってというか、最後に務める形で働いていた場で当時のその先生と同じような人に当たりました。

子供の頃とも違い、またその人が何を思っているか物凄く良くわかったことで、新たな視点に立ちました。

その人たちは本当に何も考えていないのです。笑

まぁ、本当のことを言えば、感じていることはあっても蓋をし続けているので、麻痺して感じないようになっているようなものです。


頭には罪悪感もないし、自分を良くすることしか考えてないし、感謝は表面的な口だけのものだし、こちらが言ったことなど何も覚えていないし、いざとなればなんでも改ざんできるのでした。


ただそのことは、内側をどれだけ裏切っているかと言うのは、内側のことを理解した人であればわかると思います。

その人の人生は明らかに問題が噴き出してきていました。あらゆるところから。



立場上その人に従う必要があったので、辞めるまでは本当に上手に立ち回ることができて子供の頃のように自分が表立って大きな被害に遭うことは免れましたが、たくさん嫌な思いを被ってきました。その頃と違うのは、辞める際、最後にはっきりとその人へ自分の気持ちを伝えたことでした。

勿論ですが、迷惑のかからないよう辞めるまでの配慮もしましたし、これまでお世話になったことに対しては感謝の言葉も何度も伝えた上での話です。



私は仕事もある程度できていたから、必要な貢献もしていましたし、何より私の能力のことは知っていたので、事あるごとに助言を求められていたので(これも彼女からしたら無意識でしたが)

伝えれば何かしら届くものがあるかもしれないと思っていたからです。


しかし、結局は全く耳には届かなかったし、あなたのように人を馬鹿にしている人間は必ず周りに伝わる、私のような年長者から言われせて貰えばあなたは何もわかっていないと言われました。笑



その言葉に、もう何も返す言葉もでてきませんでした。勿論怒りもありましたが、それ以上に可哀想にもなりました。

私が関わっているその方と同じ年代の方々は、少なくともそうは言わないことが経験してわかっていましたから。


その人には、それだけ色々がわかるなら人生よっぽど楽で良いねと吐き捨てるように言われたこともありましたが、、個人として何か言ってやろうとしても浮かばなかったからと言って、年長者などと歳上の方々を並べる方が失礼なことなのにな、、と感じました。


その方と同じように、仕事をして家庭もあり、寧ろもう少し歳上のある方は、私の過去を知らなくても、ここまでのことを知るのにどれだけ大変な想いをなさってきたのか…と泣いてくださったからです。

その時初めて、今は私のことを深く知らなくてもわかってくださる人達が外側にもこうして見えるようになったのだと感動したのでした。



その上司の暴言の時に、その方の内側は、私に感謝を伝えてくれたこと、同時にその本人に対して物凄く怒り狂っていたことがわかったのです。

そのことで、ああ、この人はこれからどれだけ大変な経験をするだろうか。恐らく最後のチャンスだったのに、もう許してもらえないのかもしれないと感じました。

しかし、私は私にできる最善をしたし、これで過去のことも、あの先生は先生で罰を受けたのかもしれないと感じました。



こんな風に自分の経験を書くと特定の人の批判になってしまうかなと思っていたので、これまで書いていませんでしたが、書いた方がわかりやすいし特にプライバシーも侵害してませんしね。

具体的に書いた方が皆様からしたら、ずっとわかりやすかったかもしれませんね。



ただ昨日も書いたように、ほとんど癒されてしまっていますから、かえってこのような経験も今は本当に珍しくなってしまって😂笑

ここ近年ではその方くらいのものでしたね。

皆様優しいですし、、笑

今後はあまりこういった類の具体的なエピソードは書けないかもしれません。

わかりやすい良い事例を頂けたと思って昇華して貰おうと思います。



そんなことで、みなさんもたくさんの過去の嫌な経験があるかもしれません。

蓋をすると繰り返し起こってきて、なんの罰だと思うかもしれませんが、それはあなたの人生をより楽に美しくする為の優しい教えであるのです☺️



時に勇気が必要なこともあるかと思いますが、耐えてこれたあなたであれば耐える勇気ではなく、変えることにその力を使ってください😇

そうすると、本当に人生は生きやすくなります👏✨


と言うことで、また長々としてしまいましたが、皆さまどうぞ良いお年をお迎えくださいませ🙇‍♀️✨




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