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“見る目”は、自分を守る力になる

  • のぞみ 箕村
  • 5月23日
  • 読了時間: 7分

恋愛で相手を見る目に悩む…

と言う方は特に必見です☺️




高校の頃、サッカー部だった私は、試合中の怪我で骨折した時も、至近距離からボールが顔面に当たって、視界の半分が真っ白になった時も

でも私は「大丈夫です」って言って立っていた。

まぁ、勿論大丈夫なんかじゃなくて、その後無事病院行きだったが😂


――


別にそこに関して何も思ってなかった。



ただ、痛いとかダメだとか言えなかった。

我慢するのが当たり前だった。

私の“痛み”は、私の中だけに留めておくものだった。



初めて「助けて」が言えたのは、ストーカー被害で心が限界を迎えて、実家に帰ってから、胃腸炎と子宮の誤作動による激痛で動けなくなり、蹲りながら、母親に伝えたときだった。



そうしなければ生きていけなかった。

逆に言えば、それほど追い詰められなければ、私は自分の痛みすら言葉にできなかった。



でもね、ようやく「助けて」が言えるようになった矢先、また試されるような出来事があった。



発熱と腹痛が続いて、立っていられないくらいになったとき、母に付き添ってもらって大きな病院に行った。



そこで対応した医者が、開口一番こう言った。

「ほんとに痛いのー?」


一瞬、耳を疑った。

苦笑い混じりで、こちらの状態もろくに見ずに言われたその言葉に、一気に力が抜けていくのを感じた。


さらに言われたのは、

「化粧なんてせずにもっと健康的な見た目にしなさい」という言葉だった。


当時の私は、インストラクターという仕事柄“マツエク”(まつ毛エクステ)をしていた。

マツエクは、一度付けたら簡単には外せないもの。

だからメイクをしていなくても、すっぴんでも“目元だけは化粧をしているように見える”。


それだけのことで、

「化粧する余裕があるなら大丈夫」と判断された。


でも、私の顔色も、眼の充血も、唇の色も――

明らかに具合が悪いことは、ちゃんと見れば誰にだってわかるはずだった。


それなのに、“医者”という肩書きを持ち、大きな病院でふんぞり返っていたその人は、

表面しか見ず、心も身体も追い詰められていた私を“ちゃんと見ようとしなかった”。


「こんなに痛くても、わからない医者がいるんだ」

その衝撃が、今でもずっと残っている。


それでも、痛みの波がきて立っていられなくなっていた私を見て、看護師さんが気づいてくれた。

「ちょっと、こっちで横になりましょう」と、別室に案内され、

その方が申し訳なさそうに、何度も謝ってくれた。


その人は何も悪くないのに。

それだけで、私は少し救われた気がした。

後からバツが悪そうに入ってきたその医者から検査は異常がないからと別の病院を案内された。



そして紹介された病院に行ったら、そこで対応してくれた先生は、

症状を見た瞬間にこう言った。


「これは…相当痛かったでしょう?よく耐えてましたね」


たったその一言で、私の張り詰めていたものがふっと緩んだのを覚えている。

専門医ということも勿論あるだろう。

だけど、2人ともかなりベテランだろう男性で、

同じ“医者”という肩書きを持つ人でも、

人としての感性や向き合い方によって、ここまで違うんだということを、思い知った。



ただ私はほんとに病院が嫌いになった。

嫌な先生に当たるのはそれが初めてじゃなかったし、対応してくれる先生を選べないからね。

またしんどい中行ってあんな人達と出くわしたら最悪だと思っていた。




しかし、その後何年経ったかな?

動画でも話したように、皮膚のことで、彼に何度も何度も勧められて行った病院の先生。

肌そのものは完治しなかったけれど、

その先生は、私が何も話していないのに、脈を見ただけで言った。


「何か…心がとても疲れていませんか?」


祖父と、ペットのうさぎを同時期に亡くした頃だった。

私が少しだけ話すと、驚いたように深くうなずいて、

「それを言わせてしまって、申し訳ありません」とまで言ってくれた。


その人は、医者という以前に、“人としてのあたたかさ”を持っていた。

それに、治療の提案もたくさんの視点からしてくれた。本当に誠実なお医者様だった。


……



なぜこんな話をするかというとね。

それは、恋愛も同じなんです!



外見が良い人、華やかに見える人。

それだけで「素敵!」って思ってしまう人がいる。


でもそれって、

「医者の肩書きがあるから、この人はすごい」って思うのと、構造的にはまったく同じです。

条件しか見ないで恋愛してる人も同じ。



観察力がある人や、もともと敏感な人なら、

本当は気づけることも多いと思います。


人の中身は、端々に滲み出ているから。


・言葉の選び方

・沈黙の空気感

・相手の目をどう見ているか

・誰も見ていない時のふるまい


そういうところに、“人としての在り方”はちゃんと現れてくる。


でも恋愛になると、途端に“目が曇る”人が多い。


・顔がタイプだった

・ドキドキした

・周りが羨ましがる相手だった

・自分を好いてくれた


…それだけで、

自分の中の“違和感”をなかったことにしてしまう。




でも、それって本当は、

内側がちゃんと「違うよ」って教えてくれているサインなんです。


恋愛がうまくいかない。

相手を見る目がない気がする。

好きになる人に毎回振り回される――


それは、あなたがダメなんじゃない。

「今の自分には、まだ“本質”を見抜く目が整っていない」というだけ。


自分の内側が磨かれていくと、

“見た目がいい”だけの人には、自然と惹かれなくなります。


むしろ、

言葉の端々に誠実さが滲んでいる人、

誰かに気づかれないように配慮している人、

心の奥にちゃんと“感じている人”――


そういう人に、自然と心が向くようになります。




そして外見だって勿論!

嫌な人を選べなんて、そんな相手の方に対しても失礼なことは考えないで。


本当に「素敵」と思える人に出会えるかどうかは、あなたが“どう在るか”にかかっています。


内側が本当に望んでいる在り方に一致していれば、自然とその人の魅力が最大限に感じられるようになる。

そうすると、それに応えるように現実にそんな相手が現れるし。


逆に、自分が脳内だけで“誰か他の人”を目指しているとき、あなたの前には、浮気っぽい人や中身の伴わない人ばかりが現れるでしょう。



ただ私達の場合も、出会った時や付き合いはじめはお互いの顔がそこまで好みではなかったんですよ(笑)

「ときめいて大好きで…!!」

みたいな感じじゃ勿論なかったのは、2人の背景をみたらわかると思いますが。

それよりもっと深く同志を感じたというのかな?

まぁ、これはみんながみんなそうである必要なくて、どんな関係を望むかによって全然違っていいと思います。


今の方がずっと彼の見た目もいいと思えてる!

少なくとも私はね😌

まぁ彼もそうだろうとは思います。

それはつまり自分達の在り方の問題です。

表面的には自信がありそうでも、以前は根深いところでの自己否定が凄くて、今は本当の意味で自分を良いと思えるようになってきたから。



動画でも肌荒れで泣いていたと話したけど。

それは過去の私と比較したらとても良い状態なのがわかりますよね?

死にそうじゃない。肌だからね。

そんな痛みじゃない表面のこと。

でも、痛いって嫌だって泣ける、表現できることだったから。


今では、ちょっとした傷でも、

「見て!痛い!」って彼に言って、笑い合えるようになっているんです。


我慢しなくても、本当のことを言っても

“壊れない関係”があることを、私は今、知っているから。


それだけ安心できる関係が築けるということにおいて、やっぱり“相手の中身”こそが重要なんです。




彼にとっては“家”が心を開ける場所ではなかったように、私は“外の世界”に心を開けず、恐れながら生きてきた。


私たちの関係は、そんな構造の鏡写しのようなもので、今はその両方を、互いに補いながら繋ぎ直しています。




外見に惑わされず、人の本質を見抜ける自分になるということを目指すのは難しく感じても、あなたの内側は最初からわかってるわけで。


だから、そこに合う自分になれば、自然と変わっていくわけです。

それは、恋愛だけじゃなく、生きる上での“目”を取り戻すことでもあるんですよ。



そしてその目は、

自分自身をちゃんと見て、守ることができたときに初めて開くものです。





 
 
 

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