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愛されない理由は、“見た目”ではありません

  • のぞみ 箕村
  • 5月29日
  • 読了時間: 6分

次回の記事では“身体の不思議体験”について書く予定でしたが、

その前に、どうしても先にお伝えしておきたい大切なことがあります。


これは、恋愛や人間関係における「自己認知」の話として、とても重要な内容です。

きっと多くの方の中で、何かが腑に落ちるきっかけになると思います。




自己認知において大切なのは、

自分がすごいかどうか、愛されるかどうか、という話ではありません。


大切なのは、どれだけ“等身大の自分”を正しく見て、評価したり、受け入れたりできるかということです。

そしてもう一つは、相手に求めていることに対して、自分がどの位置で応えることができるのかということです。


それは「こうなりたい」という願望ではなく、

実際に“対応できる場所”に、自分が立っているかどうかという構造的な視点です。


ですから、以前にそれぞれの“希少価値”について整理しましたが、

あれは誰が優れている・劣っているということではなく、純粋に自己認知のために行ったものでした。


当然、数字だけ見たら、私の希少価値の方が凄い!となるでしょうが。

私より弟子の方が好きだと思う方もいれば、その逆の方もいます。

これは感情ベースの話です。

実際、多くの人は現実で他人を感情的に見て、好き嫌いで評価しています。


そこには能力だけでなく、共感性や親しみやすさもキーになるポイントですが、結局は好みはそれぞれだからという簡単なことです。



それに、加えて――

これは絶対的に理解しておいてほしいことですが、構造的に見たとき、たとえ能力に差があったとしても、それは上下ではなく、役割の違いにすぎません。

誰もが優れている場所や形が違う、それは誰がどの場面で、どう応答できる存在かという違いなのです。


たとえば、弟子が自身のブログに書いていたように「自分の見た目は普通かもしれない」と思ったとしても、それがそのまま彼女のパートナーになる相手にそう思われるわけではありません


むしろ、最終的にはパートナーにとっては“最高に可愛い”と思われることになるはずです。

ただそれは、「誰から見てもそう思われる」という話ではなく、構造的に対応している相手だからこそ、そう見えるということです。



外見というのは、運動神経や学力などと同じく、

他の能力と並んで、ただの“能力のひとつ”にすぎません。


それは造形的な特徴にすぎず、

人間的な魅力や、誠実に愛されるかどうかとは、まったく別の軸にあるのです。



自己認知を正確にするのは、

そこにいる“現実のあなた”を、あなた自身が本当に見るためであり、

その“現実のあなた”に、きちんと結果を出すためです。


では、なぜその“見極め”が大切なのでしょうか。

それは、本当の自分を認知していないと、現実の自分が愛を受け取ることができないからです。



恋愛に悩んでいる方は、なんでも外見のせいにしがちです。

しかし実際には、外見ではなく、

「どこに対応して立っているか」や「その人自身が自分をどう見ているか」のほうが、現実に大きな影響を与えています。


だから、たとえ「自信がない」と思っていたとしても、パートナーにしっかりと愛されている方はたくさんいます。

それは、その方が“ありのままの自分”を正しく見ているからです。


何度も書いていますが、

「自分の外見を評価できないと、相手にもそう思ってもらえない」というのは誤解です。

それは構造としては単に、相手が“相手自身をどう思っているか”と繋がっているだけなのです。



つまり、相手があなたをどう感じるかは、

あなた自身の自己評価に左右されるのではなく、

相手の内側の状態や構造に基づいて起きている反応なのです。


恋愛がうまくいかないとき、

多くの人はその理由を「見た目」に求めがちです。


ですが、たとえば芸能人の中には、外見的にとても整っている方も多くいらっしゃいます。

それでも、浮気されたり、誠実に愛されない経験をされている方も実際には少なくないことは、皆様ご存知かと思います。


見た目の美しさと、誠実に愛されることには、本質的に何の関係もないのです。


だからといって、見た目を磨くことが無意味というわけではありません。

見た目もまた一つの能力として捉えて、それを丁寧に磨いていくことはとても素晴らしいことです。


ただし、もしそれが「誠実に愛されたいから」という理由で選んでいる行動なのであれば、

それはかえって、本当に受け取りたい愛からは遠回りになる可能性もあるということを、心に留めておいていただけたらと思います。



また、恋愛において大切なのは、あなたが“必要な行動”をしているかどうかです。

ここで言う行動とは、“恋愛の場面での行動”ではありません。


そこが怖くて避けているのに、恋愛では「相手からすべて来てほしい」と願ってしまう場合、

それはかなりズレた状態になっています。



「愛されるとはこういうこと」「魅力的とはこういうこと」といった一般論から一度離れて、

あなた自身が“どんなふうにされたいのか”を丁寧に見つめてみてください。

そしてそれは、今のあなたが実際にできる行動のレベルと一致しているのかどうかを、

しっかりと見極めていくことがとても大切です。


たとえば、「望み通りの相手に、向こうから自然とアプローチして来てほしい」と願っているのであれば、あなた自身も“内側にとって望み通りの仕事”を、自然と選んでいる必要があります。


「本気で、結婚まで考えてほしい」と思うのであれば、あなたも自分の人生の大きな表現において、本気で取り組む勇気を持つべきです。


それができないのであれば――

どうか、あなたの“理想の相手像”そのものを、いちど見直してみてください。



「でも、そこまでしなくても結婚している人はたくさんいるじゃないですか?」

と思う方もいらっしゃるかもしれません。


もちろん、それは事実です。


ただ、“中身のある理想的な関係”を得ることと、“結婚という形”を得ることは、まったく別の話です。


少し冷たく聞こえるかもしれませんが、

現実には、どこかで利害関係が一致していたからこそ選ばれている場合もありますし、

結婚してから「この人じゃなかったかもしれない」と感じることも、決して珍しいことではありません。


私がここでお伝えしているパートナーシップとは、形ではなく、“心から安心できる変えのきかない相手”とのつながりのことです。

焦らずとも形も自然とついてきます。


つまり、あなたが本当の意味で求めていたパートナーシップに限った話なのです。



 
 
 

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