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思考派、感覚派?

皆様こんにちは😃


4月がスタートしましたね!

だいぶ日中は暖かくなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか?


今日は思考派、感覚派?というタイトルですが、これはあなたはどちらですか?という話ではありません。



そもそも思考派とか感覚派とかそう言った分け方をしている人がいるけど、実際は分ける物ではないよ。という話です。



これは、思考=論理的な考えという感覚で捉えて貰って構わないです。

そもそも人は人を分類することが好きですから、性格診断などで、どっちがより強いかみたいな感じで分類しがちですよね。



私はこうしてブログなどを書いたりするのも苦ではなく、そもそもの仕組みも分析考察して理解したので、説明するのも割と得意な方なのです。

理系の大学出身でもありますし。

だから、そこだけを見ると論理的、思考派ですね!と言われることもあるのですが。


そもそも内側が見えるとか言う時点でかなり感覚を重視していますし😂

肌感覚や嗅覚も鋭敏で、子供の頃から運動なども得意ですが、これらは勝手にできたものであり、体感覚なので(考えながら反射で動くことはできないので)、感覚がめちゃくちゃ強いというか鋭いタイプなのですね。


だからまぁ、どちらをより使っているかとか、選択の時にどちらに重きを置いているかというと感覚と答えざるを得ないというか…

でもこれも正しくはないです。



何故かというと、どうしても思考することと感覚を相反して捉えてしまう方が多いのですが、本来これらは全く相反するものではないからなのです。



先程言った通り、私は感覚が鋭いので、初めはこれはこうゆう風に感じるという感覚を受け取るのが先です。(瞬間的に受け取ってます)

それを後から思考で分析しているわけです。

ただ、私の場合はその思考で分析するまでの間隔が物凄く短いので、最初から頭で理解しているように見えるかもしれませんが、基本的にはいつもこれです。



この内側の仕組みなども、勉強して学んだわけではないので、自分の感覚だけだったものを、自分の思考によって分析し、人を通して同じように繰り返し分析した結果、整合性が取れたと言うことなのですね。



つまり、別に、この仕組みを思考で理解しなくても、自分1人だったらなんとなくそう感じるとかただこう見えるだけでも完結していたかもしれません。まぁ、その場合ここまでの具体的アプローチができるレベルになっていないとは思いますが。



ただ、やり方を人に伝えるとか、人に対して何かを教えるときには、その感覚はどうゆうところからきているのか、自分の感覚を言葉にするとどういう表現が適切なのか…これがわかっていないとできないことですので、思考で理解しないとできない分野になります。




例えばスポーツ選手だったり、どんな分野でもそうなのですが。。


自分がプレーするのが得意だけど、指導者としてはあまり…と言う方は

感覚が鋭く、思考が苦手

と言えるでしょう。


逆に、自分はプレーするのは苦手だけど、指導者としてはとても素晴らしいという方もいて

その方は、感覚は鈍く、思考は得意

なわけです。


そして、プレーするのも得意で、指導もできると言う人も勿論いて、

その人は感覚が鋭く、思考も得意

となるわけですね。



ですので、感覚と思考は相反しません。

寧ろ、感覚で得たものを安定させるために思考を使うのが正しい使い方だなと思っています。

(ここでは理解して人に伝えるまでを、「思考」と一纏めにしていますが、厳密に言えば、思考とそれを言語化する表現力もまた別のものではあります。)



ただ中には、感覚も鈍く、思考も苦手という方もいると思います。

その場合でも、他者との比較ではなく、その人の中でどんどんと成長させることは可能です。





先日、あるお店に行く機会があったのですが、1人でお店をやってらして、他の仕事との兼業だそうなのですが、本当に素晴らしいやり方と、とても深い知識とコミュニケーション能力とデザイン力と営業力…本当にトータルで物凄いパフォーマンスを素晴らしく表現されていて、感動したのですが。



その方とお話していて、改めて実感したのが、

何かを極める人、卓越する人というのは「達観と情熱」が最高にバランスが良いと感じたのです。



良く、気持ちが大事だ!という方がいます。

気持ちは本当に大事なことです。それには一切の異論はありませんが、気持ちだけで乗り切るというのは、本当の意味で気持ちがあるように私は感じません。

本当に気持ちがあるなら、そのものについて詳しくなりますから、知識は絶対についてきます。

例えばその対象がなんであれ、実際的に関わる時には知識が不可欠です。



仮に生き物と触れ合うとして、その生き物のことがわからなくても愛情があれば大丈夫!という人もいるかもしれませんが、その生き物と真剣に関われば関わるほど、どんなものが得意で何が苦手なのか、身体に合うもの合わない物は何か、どんな体質なのか…本当に詳しく知っていく必要があることがわかると思います。

その知識が、本当の意味で責任を持つという気持ちの表れではないかと思います。



そして逆に、気持ちが無ければ、それ自体が難しいことなのですね。

継続することもまた、気持ちが無ければできない。

何かに真剣に関わるというのは、とても大変なことですが、それを大変と感じなくなる、もしくは大変でも良いと思える、これが気持ちがあるかないかで大きく変わってくるところなのだと思うのです。


そのものに対して情熱があればあるほど、思う結果がでなかったときの落胆が大きくなることで、人は情熱を失いがちです。



達観という境地に辿り着くまでには、どれだけ知識があり、どれだけ試してみても勇気を出しても、何か不慮の事故があったり、落胆する結果になることもあるという経験を繰り返すことでしか辿り着けません。

でもそれで、情熱まで失ってしまうと、本気で取り組むという、全力を出す意欲すら無くなるわけです。



だから、達観しながら、情熱を失わないという最高の状態になるには、バイタリティというか、体力がものを言います。

それには身体のコンディションが本当に大切なのですね。



だから、心と身体が繋がっているように、感覚も思考も…

全てが大事であり、全て相反しないんです。

物質面も精神面もそれぞれ相反せず、どちらもどこまでも豊かになることができるはず。



それには、まずはその1番最小単位であり、全てである自分自身の身体と心というそこをどちらも良くするというのがいかに大切か…!


それを改めて実感したわけです。

そうなった時に、ああ、私の仕事、本当に素晴らしいことをさせて貰えてるんだなと気づきまして、、


まぁ、大切だと思ってたから選んでやっていたわけですが、それはでも、やりたくてもやれる物でもないわけで、自然とそれをさせて貰えてる環境なり能力なり与えて貰えていることに感謝しかないなと改めて内側にお礼をしたのでした😂👼✨



自分で選んでるようで、、それを選べるよう運んで貰っているわけで。

知れば知るほど、感謝は深くなるばかりですね。



前回の記事で身体への理解もどんどん深まっていることを書きましたが、、

身体がわかれば、また内側もより深まるわけでして、ぐるぐると螺旋のように繋がりあって深まっていく様は壮大でいつも圧倒されています🧬




そんなことをつらつらと書きましたが、何か理解の参考になれば幸いです😂

では皆様、ご自愛してお過ごしくださいね✨


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