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怒りは“誓い”だった ―構造から見る尊厳と再統合―

  • のぞみ 箕村
  • 5月9日
  • 読了時間: 4分

更新日:5月15日

※前回の記事では、私が社会に対して感じてきた「怒り」の根っこを、

個人的な経験とともに綴りました。

今回はそこから一歩踏み込み、

LifeMatrixの構造や時代的背景の視点から見つめ直していきたいと思います。





LifeMatrix構造から見た、怒りの仕組み



前回書いたように、この怒りはただの感情ではありませんでした。

私の中で、Almy――内なる感性や尊厳が、

「生きたまま殺されるような構造」に触れたとき、

本能的に反応していたのだと思います。


このとき、私の中では以下のような構造が起きていたと考えています。





● Almy(感性・本音)はこう反応していた:



「尊厳を踏みにじられた。命そのものが無視されたように感じる。」

→ 選べなかった存在が支配されたとき、Almyは“魂の境界”を侵されたと感じ、怒りをあげる。





●自我はこう感じていた:



「怒っても、私には何もできない。1人をどうにかしてもその数は多い、ましてや相手が大きな権力や金を持った存在であれば、捩じ伏せられて力が及ばない。現実は変わらない。」

→ 表現の仕方がわからず、無力感や自己否定につながってしまう。





●  Orne(行動・応答)はその間で揺れていた:



「被害者でもないし、当事者として事実を全て知っているわけでもないのに、ここまでの怒りを感じてしまうのは何故なのか。どうにもできないのであれば声に出さずにおくべきだろうか。」

→ Almyの声を強く感じる一方で、自我による世間的な“正しさ”や距離感に迷ってしまう。




でもこのとき、本当に必要だったのは、

怒りが“正当かどうか”ではなく、

「私はこの世界でどう在りたいのか」を示す声として受け止めることだったのだと思います。





時代背景としての“構造の名残”



この怒りや境界の感覚は、個人の体験だけでなく、

人類の長い歴史に埋め込まれた構造的な「名残」に反応していたのかもしれません。

ここでは子供というよりは男女としての在り方から見ていきましょう。





【1】人類史の前提:生存のための“仕方ない”構造



  • 古代では、身体的に強い者がリーダーシップを握るのは合理的でした。

  • 女性は出産・育児のために守られ、その結果として従属的立場に置かれました。

  • 「男が支配し、女が従う」は、生存戦略として最適化された構造だったのです。






【2】現代の変化:技術と法が“対等性”を可能にした



  • AIや制度の発展により、身体差が支配構造になる時代は終わりつつあります。

  • 男女ともに生活のすべてを担える環境が整い、形式的な平等は進んできました。

  • それでもなお、「平等に見えて不平等」な構造は、根強く残っているのが現状です。






【3】問題:制度は進んでも、“文化コード”は残っている



  • 「女は気を遣うべき」「男がリードすべき」などの無意識の前提。

  • 性の場面では、男性優位・女性受け身という“脚本”が色濃く残っています。

  • それが、性を「サービス」や「消費」として扱う文化にもつながっています。






【4】結論:次のフェーズは「心の構造」のアップデート



  • 生存戦略の名残を脱ぎ捨てるときが来ています。

  • 法律ではなく、「感性・誠実さ・構造理解」によってつくられる関係性へ。

  • LifeMatrixは、その“内面の構造”を見つめ直すための視点であり、


     一人ひとりが誠実に世界と関わっていくための方法でもあります。






■ 今だから提唱できる価値観のかたち



かつて、力が価値だった。

いま、誠実さが価値になる。


かつて、生きるために支配が必要だった。

いま、共に生きるために自由と対話が必要だ。


そして、法が整った今――

次に整えるべきは、“心の構造”です。






私は、この怒りと共にここにいます。

それでも、ただ怒り、無力感に苛まれる日々を変えて、“光のほうへ”生きていきたいと思っています。


怒りが教えてくれたのは、

本当に大切だったもの。

二度と見捨てたくない感性。

そして、それを守る強さが、

もう私の中に育っているということです。


私がどう思われるかよりも――

こうして言葉にすることで、

もし誰か一人の「当たり前」が変わるなら、

それは世界の構造をほんの少し揺るがす、本当の変化かもしれません。


「考えすぎだよ」って言葉で、何度も終わらされてきた私の痛み。

でもそれを、僅かでも光にできたなら――

私自身も、ほんの少し、報われた気がします。


このことを、こうして言葉として外に出せたことも、

きっと本を書いたことの影響が大きいのだと思います。


小さな声でも、決して無意味ではない。

すぐには変わらないことでも、“後の世界に残す”という選択に、

意味があるのだと――

ほんの少しだけ、私も思えるようになったのかもしれません。



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